[副校長] 数字と名前

『数字と人名』

アメリカのトランプ大統領がコロナ感染による入院から3日で退院した。時は大統領選挙戦の最中。それも終盤。なので、一刻も早く退院し選挙活動を再開したかったとの見立てもあるが、大統領としての責務を全うしたいとの強い志からの行動だったと思いたい。

しかし退院前後の大統領のツイッターやフェースブックでの発言はいただけない。たとえば大統領は10月6日(現地時間)朝のツイッターに「毎年多くの人が、時には10万人以上が、ワクチンにもかかわらず、インフルエンザで亡くなっている。だからといってわれわれは国を閉鎖するのか?いいや、我々はインフルエンザと共に暮らすことを学んだ。同様に、今われわれは新型コロナと共に暮らすことを学んでいる。新型コロナは、人にとって死に至る病気ではない!」と投稿した。また別のツイートでは「私はコロナについて多くを学んだ。みんなコロナに支配されるな。コロナを恐れるな」とも。

トランプ大統領がコロナを体験した事は事実である。しかし多くを学んだかは疑問が残る。さらに言えば、学んだとしても、その学びを大統領としての正しい判断や政策に使おうとしているかは、はなはだ疑問だ。特にインフルエンザやコロナでの大量の死者も、自分の主張を正当化する数字としかとらえてないような発言は、一国の指導者としては危険極まりない。その危うさは、コロナという単語を「戦争」や「銃乱射事件」または「人種差別での犠牲者」に置き換えると分かるのではないだろうか。

「たとえ十万人死のうが、(戦争・銃乱射事件・人種差別で)みんなが死ぬわけではない。自分みたいに生き残る者もいる。傷ついてもたいした事はない。だから、こいつと上手く付き合って暮らしていこう。(戦争・銃乱射事件・人種差別)は、恐れるには足らない事だ!」

その一方で、警察官の暴行により命を落とした犠牲者の名が書かれたマスクを全米オープンで使用した大阪なおみ選手。彼女にも賛否の声が上がっている。しかし、彼女は人の命や死が数字で表現される事に一石を投じたことは、紛れもない事実である。

命を数字で捉え持論を推し進める人間と、個々の命として捉え立ち止まり考える人間。人を育てている教育現場の人間として、考えずにはいられない二つの出来事である。

 

2020.10.7

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠

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