[副校長] 親孝行

親孝行
先日母が亡くなった。高齢なうえに大病も患っていた。息子である自分も近い将来に来るであろうその日を覚悟はしていた。だから葬儀では、涙を流さずに済んだ。しかし主がいなくなり時が止まった部屋で一人、母の遺品の整理をしていたら悲しさがこみ上げてきた。

使用済みの包装紙に花束のラッピングペーパー。何度も補修した跡の残る古い衣類。自分で漬けた梅干し。冷蔵庫には、私の好物だった手料理が冷凍保存されていた。これらを母はどんな思いで大切にしまい、使い続け、調理保存していたのだろう。その答えを直接訊くことは出来ない。遺されたものを見つけては、母の心を想い描く日々を過ごしている。反対に私の心の中には、生きている間に母にしてあげたかった事や伝えたかった言葉、悔やみきれない数々の後悔が山のように残されている。それはまるで、誰も引き取り手のない遺品のように。

昔から「親孝行、したい時には 親はなし」と言われる。たとえどんなに親孝行したとしても、親が亡くなった後には「もっと出来たのでは・・・」と後悔が残るものだと思う。だとしたら、親が亡くなった後も親孝行をすればいい。その方法は、親が生前に与えてくれた愛情や言葉を胸に人生を送ること。それらの意味を考え続け、より良く生きて行くことなのだと感じている。

葬儀が終わってまだ間もないのに、自分の心の中に悲しみは少ない。むしろ生前よりも、母を近くに感じている。時には心に蓄積された母の言葉に背き、これからも親不孝を繰り返す事になるかもしれない。それでも、「若い頃に思い描いていたとおりの人生になった」と言い残して逝った母に負けない人生を、自分も送ろうと思う。

それこそが、真の親孝行であると信じている。

 

2018.9.27 副校長 伊坪 誠

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