[副校長] 虚構の国

『 虚構の国 』

 

どこぞの国で、国家のリーダーを選ぶ選挙が近々行われる。選挙戦では、お互いに罵り合い、自分の主張こそが正しいと論戦を張っている。そのなかには、真実もあれば嘘もあると聞く。第三国と手を組んで、サイバー攻撃で相手候補の不利となる情報を盗み取った過去があった、フェィク・ニュースを流して投票者である国民の世論を操作している等の噂も聞こえてくる。このような状況になってしまっては、何が本当で何が嘘なのか、もはや普通の有権者が真意を見極めることは不可能に近い。

SNSが発達し、多くの情報が溢れる現代。情報を上手に操作出来る者が国のリーダーになることは、どこの国でも起こり得る。嘘で固めた権力は、新たな嘘を平気で積み上げて行く。多くの国民が気づいた頃には、嘘から生まれた現実の問題が国と世界に山積している。フェィクで形作られた世論が力を持つことの危険性は、大本営があった当時の我が国も経験済みだ。そうさせないためにも、これからの社会は有権者である国民の力量が問われていく。その力を養うための、教育や学問の使命は一層重要だ。だからこそ、学ぶことに価値を見いだそうとしない個人や、諸問題に無関心な社会、更には学問への介入を強めようとする国家を見過ごす訳にはいかないのである。

自分に火の粉がかかるまでは、人ごとと捉えるのが人間。しかし自分に火の粉がかかる頃には手遅れになることが多いのも事実。ならばこの世界で起こり始めている良からぬ現実を食い止める方法は、誰もが直ぐにでも役に立つものを身につけることを奨励していくしかない。それはいったい何であろう・・・。どんなに考えても、結局のところ自身の人間性を磨きながら、他者の人間性を見抜く力をも養うことであるとのシンプルな結論に至る。『修身斉家治国平天下』とは、紀元前500年頃の中国の思想家孔子の教え。良い国作りは、国民一人一人の人間性から。どんなに科学が進歩した時代でも、学びや国作りの本質は変わることはない。

さて、投票日が迫った「かの国」のリーダーを選ぶ選挙。候補者を選ぶ行為も、自己の人間性を磨く学びの一つである。有権者が何を信じて誰に投票するのか。遠く一万キロ離れた小さな学校の小さな職員室から見守りたい。

 

2020.10.21

 

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠

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