[副校長] 桜舞う頃

「桜舞う頃」
今年もまもなく、桜舞う季節が始まる。テレビの天気予報では、若い気象予報士が開花予想を高揚した声で元気に伝えている。今年の開花は例年よりも早まる予報だそうだ。しかし、それをぼんやり眺めている私の顔は、どこか物憂げである。

若かりし頃には希望を胸に見上げた薄紅色の花たちも、歳を重ねるごとに未来よりも過去を感慨深く思い出す花となっていった。期待に胸ふくらませ桜舞う校門をくぐった学生時代。どこまでも続く桜並木を幸せな気持ちで歩いた恋の季節。自分の両親や友人・我が子や家族と、桜の下で何度も時を重ねた歳月。年ごとや場所ごとの桜の見事さもさることながら、今こうして思うのは、桜を一緒に見上げた人の顔ばかりである。たとえ一人で見上げた桜の記憶も、その当時に自分が大切に思っていた人の姿ばかりが浮かんでくる。その中には、もう逢うことが叶わぬ人の姿も、あの日の桜を背景にして浮かんでいる。

桜の花びら一枚一枚には、忘れられぬ・忘れたく無い一瞬一瞬の情景が宿っている。だからだろうか、桜は開花に心躍り、散りゆく姿に涙する。群青色の空に映える満開の姿は、あの頃との再会。散りゆく花びらたちには、時の速さと儚さを知る。あの時あの人に伝えた言葉と、伝えられなかった言葉たち。今は時の川面を流れゆくのみ・・・。

昨年、大切な人を失った自分である。きっとこんな事を例年よりも強く思いながら今年の桜を見上げるに違いない。あと何度、桜舞う中を大切な人と歩けるかは誰にも分からない。だからこそ、満開の桜の木の下では、ありったけの素直な思いを伝えたい。大切な人の笑顔を深くしっかり、我が胸に刻みたいから。いつか少しだけでも、大切な人に自分の姿を思い出して欲しいから…。

桜舞う頃、あなたは誰の隣を歩きたいですか?

 

2019.3.4

霞ヶ関高等学校  副校長 伊坪 誠

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