[副校長] 古書店のパンセ

『古書店のパンセ』

 

代々木上原駅前の小さな古書店。木枠の引き戸を開け店内に入って数歩進むだけで、半地下に向かう四,五段ほどの階段がある。その階段を下りてすぐ左。古びた木製の本棚の中ほどに、その本は私が見つけに来るのを静かに待っていた。本の題名は「山のパンセ」。作家であり、思想家、登山家でもあった故;串田孫一さんが半世紀ほど前に著された本である。パンセとはフランス語で「考えられたこと」「考え」「思考」「思想」の意味であり、串田さんが山との関わりの中でお考えになったことが、短い文章で40編程つづられている。初版が発行されたのが1966年、偶然にも私が生まれたのと同時代に出された本という事を知った。読み進めていくうちに、串田さんがこれをお書きになっていた年齢が今の私と同じである事も発見し、この本との出逢いに運命めいたものさえ感じてきた。

思えば、私が串田さんを知ったのは中学1年生の頃。毎晩聴いていた深夜放送で、お気に入りのDJが、度々串田さんの本を紹介していたのがきっかけであった。以来、一度は串田作品を読んで見ようと思っていたが、時間がない等の言い訳を並べて一度も読むことなく、この年齢まで来てしまった。そもそも今回、串田作品を読みたくなったのも、先般読んでいたエッセイ本の著者が、在りし日の串田さんについて語られていたからであった。

初めて読む串田作品。串田さんの優しいお人柄と深い洞察力が全編に溢れていた。年齢を重ねての登山で味わった身体の衰え。自然への畏怖。そして彼のパンセに対する私の共感。まるで、どこかの山に上る途中の尾根道を歩きながら、或いは焚き火を囲んでの夕食後の一時に、静かに彼と対話しているような心持ちとなった。同時に、高校時代は登山部に所属していた私自身の胸の内に長いこと眠っていた、山に対する気持ちも呼び覚ましてくれた。

数十年前に、ふと耳に入ってきた一人の作家の名前。当時少年だった私が読んでも琴線に触れる事は無かったかも知れない書籍。知っていたから、覚えていたから、今こうして新たな出逢いや挑戦につながって行く。私たち大人が、日々の暮らしの中で子供達に語る様々な話。今、目の前でその話を聞いている子供には、直ぐには伝わらないかも知れない言葉たち。しかし君たちが大人になったいつの日か、なにかの拍子に思い出し、人生という山坂道を歩む杖や道しるべとなる日が来るかも知れぬ。周りの大人達と同年代になった頃の君との再会を、あの日の言葉や想いは、君の心の本棚の奥で静かに待っている。君が見つけ出してくれる、その日を信じて…いつまでも。

 

2020.11.11

霞ヶ関高等学校

副校長 伊坪 誠

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