「・・・の秋」

文化祭や「目指せ、日本橋!」などの行事が終わり、学校本来の落ち着きを取り戻してきた。気づけば日の入りも早くなり、朝夕めっきり涼しさが増してきている。

「・・・の秋」と言えば、昔は「食欲の秋」と「読書の秋」の二つをよく耳にした。食欲の秋は今でも聞くが、読書の秋という言葉は聞く機会がめっきり減ったと感じている。単に美味しいものがたくさんあるから「食欲の秋」と言われるようになったのではなく、秋にしっかりと栄養を摂れば健康な身体を作る事が出来、厳しい冬を乗り切る事が可能だからこの言葉が生き続けられているのだと私は思っている。ならば、もう一方の「読書の秋」の意味とはなにか?

確かに読書は楽しいからするものではある。しかし楽しくない書物は手にしなくて良い、というものでもない。書物は考え方や生き方の方向性を示唆してくれる。どの方向に行くかは読者次第。選んだ道を進みながら何を考えどう歩んで行くのかが、その人の生き方となる。人生の中でも多感な青少年期、あれこれと多忙な壮年期、そして第二の人生ともいえる老年期。それぞれの季節での生き方の指針や険しい壁を乗り越える力に、過去紐解いた書物がなってくれるに違いない。だからこそ秋の陽だまりのように平穏な時期に、書物からも心の栄養を摂っておくことが大切なのだ。そう考えると「読書の秋」という言葉を死語にしてはならないと強く感じてくる。

以前読んだ書物に「職業に貴賎はない。しかし生き方には貴賤がある」と謂う一節があった。遠い昔に出逢ったその一節が、今でも生きる指針として心の奥で生きている。読書とは・人生とは、おそらくそう謂うものである。

 

令和元年10月

霞ヶ関高等学校  副校長 伊坪 誠